Snow Surf 考察
もう何回目なんだろう、同じことを唱えている気がする
この夏もチューンの完成度を求めて、北の大地に向かう
これは自分のチューンに対する気持ちと立ち位置を確認するための
なくてはならない動きなのだ、語り合い遊び笑いそして削る
全てはシェイプを求めてくれる方々に喜びを届けるため
最初にサーフィンがあった、これは前にも書いた気がする
そしてスノーボードがあった、そのアプローチとしてのスノーサーフが
有ったことはまぎれもない事実なのだが、あまりに拙作で理解されなかった
しかしそこには既に今のスノーサーフムーブメントの片鱗が有ることは
理解しておいたほうがいい
つまりサーフィンが最初にあり、雪の上でそれを具現化したのがミロビッチであるが
スノーボードとして完成させたのはバートンだと理解している
スノーボードがシーンの中で受け入れられブームを呼んでいた頃
忘れ去られていた雪上でのサーフィンで有るスノーサーフはふたたび密かに開拓されて言ったのだが
スケート的、ヒップなスタイルを求めたシーンはこれを受け入れなかった
ハードコアでありパンクで有ることは元来その資質をサーフィン的思考の
知性とIQの高いライフスタイルを求めるスノーサーファーとは迎合することは
なかったのが、いまのスノーサーフムーブメントの根底にあると思っている
しかしサイドウェイで滑るこの種族はつねにカウンターカルチャーの中にこそ
存在価値を見出すのが常である故
スノーサーフがメインストリームとなれば当然パンクムーブメントが
戻って来る、その昔も同じライン同じスロープを滑っても違う解釈
それぞれの解釈でラインを引いていたクルーがシーンに戻りだしている
スマートスタイルが完成されれば当然その反体制が現れて来る当たり前のことだ
たぶんここ数年はパンクなムーブメントがシーンを飾ると考えているが
そんな中においても真んのスノーサーファーは自分たちの立ち位置と
スタイルを崩さず、さらに文化と芸術と高IQなライフスタイルを追求し学ぶことと
合わせて滑り続けるのだと思っている
スノーサーフのスピリットはいつの時代も不変であり変わりようがないのだが
その時代のムーブメントに合わせたかのように変容しながらさらに進化
していくものだと思うのだ、そう考えるとスノーサーフはサーフィン以上に
深遠な遊びなのだと考えてしまった、雪を滑ることは本当に素晴らしい
それを楽しめる私たちは幸せです
MAGICFILEMAN