想い

たまに聞かれること、なんでチューンを始めたんですか?

思い出してみるが、はっきりとチューンと呼べる世界を目指したのは

近頃のことのような気がしている、多分ここ10年ぐらいかな

スキーの板を最初に触ったのは今でもよく覚えている

米国で競技スキーのカウンターカルチャーと思っているムーブメントが起きた

そうフリースタイルスキーの台頭だもちろんこれも産業の都合と大人達の思惑で

競技になるのだけれど、エアリアル、モーグル、バレーといった種目が注目されて

現在でも2種目は残っているかな?

この時に少年だった俺は、傷ついたスキーを我慢できずに修理にチャレンジしたわけ

黄色いソールだった俺の板は火傷しながらも煤だらけの白い修理剤で

なんとか傷は埋まったのだがなにしろ削り方がわからない、ペーパーで削るが

黒く汚れるだけでまったくダメ、危ない手つきでナイフを使って大きな出っ張りを

削るのが精一杯だった、金属スクレーパーやファイルなどを知るのはそのはるか

後の話だった、これが俺のメンテナンスの原体験

そして数年後バレースキーに憧れたおれは色々と試すのだが、エッジがうまく機能

していないのではと考え出したそのころにはスキーショップにも通い出し

メンテナンス道具の知識もなんとなく理解し出していて

金属スクレーパーとエッジファイルがあることを知ったが使い方はまだ知らない

ともかくこずかいでなんとか手に入れた道具で俺のスキーは実験台となった

キャンドルで埋めた傷あとはスクレーパーでスムーズになった、と自分では思ってた

引っかかってうまくずらせなかったスキーはデタラメなファイルの使い方で

なんとか引っかからなくなったが、意気揚々と出かけたスキー場でターンが

できなくなっていることを知るのは少し後のこと、多分これがチューンの原体験

だがこの頃にアルコール燃料のコテを使ってワックスを溶かし塗ったのは

画期的だったが、はがす時にできの悪いスクレーパーしか売ってなくて

苦労したのはよく覚えていて、チューブ入りのエマルジョンのワックスが

史上最強と思っていた、ちなみに仕上げにブラシが必要だと知ったのは相当後のこと

車と一緒でワックスは布で磨いで光れば滑ると思ってた本当の昔話

スノーボードが世の中に出てきたのは知っていたが、サーフィン至上主義だった

俺が手を出すのは普通に第一次ブームのはじめのころ、前にも書いたがスノーボード

2回目で俺がやりたいのはカービングだとターンの名前は後から知ったが

硬い靴で滑るやつ程度の知識でその滑りとスタイルにサーフィン以来2度目の

正確にはウインドがあったので3度目の恋に落ちた、もちろんそこからは

スノーボード一色の世界が続いて今に至る、サーフィンは別ねあれは俺の精神安定剤

病院みたいなものなんで、そこでカービングに狂った俺はワックスだ板だエッジだ

スキー理論と回転理論ともうかなりおかしい人になり、どうしても板を自分で

調整したくなった、そこでもう一度チューンの道具を揃えて自分の想う形に

ソールもエッジもなにもかも変えてみたくなった、最初は椅子二つに板を置いて

またがってフラットだし2日がかりとかやってた、でも納得できる形にできない

で迷いに迷って、借金してサンディングマシンを買ったわけ

夢のマシンでしたね今はもうこれでは納得しないけど、その時は機械のすごさを

思い知った、自由にエッジとソールを造形できる喜び、想いを形にできる

嬉しさ素晴しさは今も続いています、もっともエッジは今でも手作業が

最高だと思っているけど、機械のプリシェープは必要な時は使っています

まあ長くなったけど、これが俺のメンテナンスとチューンの始まりから

途中端折ったけど、現在の形になるまでです

板を触る時、いつもユーザーの方をイメージして僕の思いを形にして仕上げています

毎日が新しい世界です、次々課題が現れます、そこに理想の解決点を見つけ出して

快適な滑りにつなげていくことがチューンを始めた時から変わらない俺の想いです

MAGICFILEMAN